JR山田線の釜石-宮古間を引継いだ時に新潟トランシスで新造した、36-700形増備車です。 乗ってきた列車が島越を発車し、ゆっくりと第一島越トンネルに向かいます。
島越駅は2011年の東日本大震災の津波で、駅の土台とほんの一部の階段を除き高架の線路、ホーム、駅舎など、ほとんどすべての設備を失いました。 島越駅を含む三陸鉄道北リアス線の小本(岩泉小本)駅-田野畑駅間が運転を再開したのは、地震から3年後の2014年4月です。
北リアス線が復旧した翌年に列車で通ったとき、島越駅のホームから遠ざかる列車にいつまでも手を振る女性がいて、それが強く印象に残りました。 3年後の2018年9月に車で島越駅を訪れ、新しく整備された駅周辺の様子などを写真に収めましたが、女性の姿はありませんでした。 今回は、それに続く2度目の訪問になります。
▽ これまでの島越訪問の記事はこちら:
耐震性や津波対策を強化するため、島越駅前を流れる松前川の橋梁とその前後の築堤は、「補強盛り土一体橋梁」と呼ばれる新しい工法で造られました (同工法は小本-田野畑間で架け替えた3橋梁で施工)。堅牢な築堤上を岩泉小本に向かう上り列車です。
松前川を渡る県道の橋が工事中だったため、300m程上流に架かる村道の橋に迂回して、駅の対岸にある島越ふれあい公園に向かいました。
島越ふれあい公園から。
島越ふれあい公園は、津波で流出した島越駅があった場所に整備された復興公園です。 公園には、2011年の津波に流されずに残った旧島越駅に上がる階段の下の部分と、宮沢賢治の詩碑「発動機船 二」の2点の震災遺構や、 過去に幾度もこの地を襲った津波犠牲者の慰霊碑などがあり、震災や津波の恐ろしさや教訓を伝えています。
島越駅に降り立ってから2時間半、ほとんど人に会うことなく、駅周辺を歩いたり、薄っすら積もった雪の中でぼんやり佇んだりして過ごし、3本の列車を撮影しました。
辺りが暗くなり始めた頃、この列車で久慈に向かいました。