駅は中野集落より少し低い位置にあります。 おしゃれな待合室の後ろにあるのは、綺麗なトイレです。
滝谷駅は、会津若松起点39.6km、時間にして1時間15分位の場所にあります。 現在の駅は、旧島式ホームの片面を使用するような形の、交換設備のない1面1線の形式です。
駅の周囲には20戸ほどの柳津町中野集落があり、集落を貫くように県道32号線が通っています。 県道を南に行くと滝谷駅の名前の元となった滝谷集落があり、その先は西山温泉郷や地熱発電所へと続きます。
駅の柳津側を越える県道の跨線橋から見た滝谷駅です。 駅の向こう側が只見方面で、カーブの先に滝谷川橋梁があります。
以前は、島式ホームの南側(写真左側)に貨物ホームがあったようで、島式ホームとの間には貨物側線が残っています。 写真をよく見ると、島式ホームの右側には枯草に覆われた高さの低い単式ホームがあるのが分かります。 以前は、現在使われている線路の右側にそのホームを使う線路があり、列車交換を行っていたと思われます。 1972年の滝谷駅時刻表(下の時刻表、左側)を見ると、9時台に季節臨の下り急行いなわしろ2号(7412D)と上り普通列車(425レ)が、滝谷駅で交換しています。 また、webにアップされた蒸気機関車時代の滝谷駅の写真には、今は撤去された線路から上り列車が発車する様子が写っていました。
滝谷川橋梁側から見た滝谷駅で、写真の向こう側が柳津方面になります。 こちらから見ると、旧上り線用のホーム(写真左側)がよく分かります。
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1972年3月と2025年3月の滝谷駅時刻表
滝谷駅の古いホームや蒸気機関車時代の客車列車の画像を見ていたら、その時代の時刻表が見たくなりました。 上の滝谷駅時刻表には、1972年3月の時刻表と今の時刻表を並べたので比べてご覧ください。 両方とも、JTB時刻表から作成しました。
只見線が全通したのは1971年8月(ダイヤ改正前年の夏)なので、左側の1972年3月改正の時刻表には直通後に設定された1日3本の小出行が載っています。 普通列車の本数は1972年も2025年も6本づつで変わりませんが、1972年の方が全体に朝方に寄った運行になっていて、上り最終列車は何と17:59発という早寝早起きダイヤです。 1972年当時、蒸気機関車がけん引する客車列車(上り・下り3本づつ)が残っていて、その内2本は会津宮下と会津川口で夜間滞泊していたようです。 なお、只見線の客車列車は1972年10月に全て気動車化されていて、全線開通や客車列車の廃止など、只見線にとって大きな出来事が続いた時期でした。
1972年の時刻表を見ると、普通列車の他に上り・下り各2本の急行列車が設定されていて、どちらも急行いなわしろという名称です。 当時の運行形態が今と違って面白いので、少し紹介してみたいと思います。
仙台発着の急行いなわしろ(4417D、4410D)は定期列車で、会津川口-只見間が季節列車扱いです。 また、福島発着の7415D、7412D は季節列車ですが、3月21日→5月7日及び夏A(7月8日→9月24日)運転なので、 定期列車に準じた運行と考えてよいと思います。
会津川口発仙台行の上り急行いなわしろ1号(4410D)は、会津若松で喜多方から来た911D、会津田島から来た4310Dと連結して郡山に向かいます(列車名はいずれも急行いなわしろ1号)。 郡山では、さらに水戸から来た4711D(いわき1号、磐越東線経由)と連結して福島を目指します。 福島からは普通列車1921Dとなり、終着駅の仙台には12:12に到着するという多層建ての列車です。
この頃、会津坂下の近くで上りの急行いなわしろ1号を撮影したことがあります(上の写真)が、普通列車用に塗分けられたキハ52が単行でやってきて驚きました。 会津若松でどんな編成になっていたのか、見てみたかったです。
当時は急行気動車列車を中心に、発駅・着駅の異なる列車が分割・併合しながら運行する多層建て列車が多くありました。 ちなみに、季節列車の急行いなわしろも、新潟からの急行あがの、水戸からの急行いわきと連結する多層建ての列車でした。