桜が満開の笠間芸術の森公園に、復元された人車を訪ねました。
笠間芸術の森公園内の施設「笠間工芸の丘 クラフトヒルズKASAMA」前に、人車は展示されていました。物差しを当てて測った軌間は約62cm ... たぶん610mm (2ft)でしょう。
笠間人車軌道について
笠間人車軌道は笠間稲荷神社への参拝客を運ぶため、大正4年(1915年)から大正15年(1925年)までの間、水戸線の笠間駅から笠間稲荷神社付近までの約1.4kmの区間を走っていました。
最盛期には年間15万人を運んでいたと記録にあります。
人車軌道とは、モーターやエンジンなどの動力を用いずに、人がレールの上の車両を押して動かす鉄道のことです。
笠間では一人の車夫が8人乗りの小さな客車を押していました。
笠間人車軌道復元プロジェクト
かつての人車軌道沿線で毎年6月にハンドメイドフェアを開催している道の市実行委員会では、門前町・笠間の発展に貢献しながら、今や市民の記憶から忘れ去られようとしている人車軌道を「地域のシンボルとして復元したい」との強い思いから、手作りによる復元に取り組んでいます。この車両はその活動の一環で平成26年に制作したものです。
(人車前に掲示された案内より)
さて、笠間といえばもう一つの手押し軌道が思い出されます。笠間は石材採掘で有名な地域に隣接していて、かつて石切り場で採石された石材は手押し軌道で隣駅の稲田まで運ばれ、水戸線を経由して主に東京方面で建築材に利用されました。国会議事堂の建物や都電の敷石にも使用されたそうです。史料[
大正年間に多くの参詣客を運んだ笠間人車軌道と、明治から昭和にかけてひたすら御影石を運んだ稲田の石材手押し軌道。業種は異なるものの共に重要な輸送手段として、この地域の産業の発展に貢献してきました。石材手押し軌道の話はなかなか面白いので、いずれ詳しく取り上げたいと思います。
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難台山を背景にのんびりした風景が広がります。