木造の駅舎が印象的な峠の無人駅に列車が到着します。
2019年9月の道北旅行の続きです。
塩狩駅前のユースホステル「塩狩ヒュッテ」に1泊し、塩狩駅を通る宗谷本線の列車をのんびり撮影しました。
塩狩駅は、上川郡和寒町にある宗谷本線の駅で、石狩川と天塩川の分水嶺の塩狩峠にあります。 1916年に、鉄道院宗谷線の信号所として設置されたのが始まりです。
旭川から名寄に向かう普通列車は、蘭留駅を過ぎると上り勾配に差しかかり、標高339mの蘭留山やいくつかの小さな山々を迂回するようにゆっくり進みます。 塩狩駅に到着する直前まで力行が続き、ノッチをオフするとすぐに木造の駅舎が残る塩狩駅の1番線に到着します。 駅の標高は260mくらいでしょうか。 駅を発車して有効長の長い駅構内を過ぎると、和寒へと急な勾配を下っていきます。
駅周辺には、塩狩峠記念館や列車分離事故で殉職した長野政雄の顕彰碑があり、駅裏は季節になるとエゾヤマザクラが咲く桜の名所となっています。
塩狩駅周辺は、三浦綾子の小説「塩狩峠」の舞台となった場所です。 20世紀初頭(明治時代)の冬に、8100形蒸気機関車がけん引する名寄駅発旭川行きの上り急行列車が塩狩峠の頂上付近に差し掛かった際に、客車の連結器が外れて最後尾の車両だけが勾配を逆行する列車分離事故が発生しました。 この事故で、列車に乗り合わせていた鉄道院旭川鉄道運輸事務所職員の長野政雄がハンドブレーキを操作するも、デッキから転落し客車の床下に巻き込まれて殉職しています。 しばらく走行したのち客車は停止し、乗客にけが人や犠牲者は無かったということです。
三浦綾子はこの事故をモデルに、小説「塩狩峠」を執筆しました。 小説では、主人公でキリスト教徒の永野信夫が暴走する客車を止めるための最後の手段として、自ら車両の前に飛び込み殉職します。 小説は1966年(昭和41年)からキリスト教系の雑誌「信徒の友」に連載され、のちに新潮社から出版されました。
1線スルー構造の1番線側の線路を通って、上り快速列車が塩狩ヒュッテの横を通過します。
昨年の夏の終わりに1泊させていただいた塩狩ヒュッテは、とても居心地の良い場所でした。
オーナーの合田夫妻は、塩狩駅に降り立ち、列車が去った後の静寂の森に小さな灯を見つけてホッとする、そんな情景を想って塩狩ヒュッテを建てたのだそうです。
場所がら特に何かがある訳ではなく、旅の目的を聞かれる訳でもなく、泊まる人それぞれの思いをそっと大切にしてくれる宿だと感じました。
塩狩ヒュッテユースホステル
次回は塩狩駅と塩狩駅を通る宗谷本線の列車を紹介します。