前の記事
冬のSLと石炭のマチ・釧路 4. 臨港線の石炭列車
次の記事
冬のSLと石炭のマチ・釧路 6. 雄別炭鉱鉄道 8722
■ 記事の種類と一覧
■ お知らせ
・写真をクリックすると大きな画像を表示します
『石炭のマチ・釧路』5回目は、釧路コールマインの軌道を紹介します。
釧路コールマインは、太平洋炭鉱が2002年の閉山を決めた後を、その前年に地元釧路市の財界関係者により設立された釧路コールマインが経営を引き継ぎ設立した会社で、太平洋炭礦が所有する設備を使用して、2002年4月に採炭を再開しました。
紹介する釧路コールマインの軌道の歴史は、戦後にさかのぼります。太平洋炭礦春採坑が機関車を導入し坑外軌道を本格的に展開したのは戦後からで、海岸に近い桂恋坑や海底炭鉱の興津坑の開坑により、各坑口と選炭工場や鉱山機械の整備工場があった現在の春採坑付近を結ぶ軌間610mm (2ft) の軌道が整備たことに始まります。
1950年に釧路名物として親しまれた凸型の東芝製8トン電機機関車が製造され、直流250Vの電化された軌道で原炭、材料や機械の輸送が始まり、1954年には桜ヶ丘坑(現在の春採坑)が開かれて路線距離が最大となりました。またこの頃は、通勤輸送のための人車も運転されていました。
1962年に春採坑と興津坑が統合され、出炭は春採坑に集約されました。これ以降、春採坑と春採駅とを結ぶエンドレスの路線を使い、24時間体制の輸送が続けられました。1984年には架線電圧を500Vに昇圧し、ニチユ製のボギー式16トン電機4両に置き換えて輸送力が増強されますが、同じ頃に坑内から直接選炭工場へ原炭を運ぶベルトコンベア斜坑が完成し、軌道での原炭輸送は1989年8月をもって廃止されました。
しかし、それぞれの坑口付近には、坑内と整備工場、土場で使う材料や機械の搬出入のために坑内の路線とつながる軌道が設けられており、これらの一部が釧路コールマインの構内に残存しています。
2012年3月までは、高い櫓の上にパンタグラフを載せた独特の形状の架空線式電気機関車(東芝製改造1輌、三菱製改造2輌)が活躍していました。残念ながら、それまで活躍した電気機関車は全面的にバッテリー機関車(新トモエ電機工業製サーボロコ2輌)に置き換えられてしまい、地上部の架空線も撤去されて景色が一変してしまいましたが、2台のサーボロコに加えて従来から使用されてきたニチユ、東芝製バッテリー機関車は、現在でも地上部で活躍を続けています。
次回は、釧路製作所に静態保存されている雄別炭礦鉄道の蒸気機関車8722について紹介します。
釧路炭鉱や軌道に関する記載は、ツアーで配布された釧路臨港鉄道の会作成の下記資料からの引用です。
■ 資料
釧路臨港鉄道の会(2013.02):「冬のSLと石炭のマチ・釧路 FINAL」海底力ツアー season 5th -SL冬の湿原号と釧路の石炭産業・鉄道名所を体験する3日間-