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『石炭のマチ・釧路』6回目は、雄別炭鉱鉄道の8722号蒸気機関車を紹介します。
雄別鉄道は1923年に北海炭礦鉄道として開業し、1924年に三菱鉱業傘下の雄別炭礦鉄道事業を展開しました。1959年に経営合理化のため炭鉱部門から分離されて雄別鉄道となりました。
釧路-雄別炭山間の44.5kmを結び、C11形やC56形蒸気機関車等が石炭輸送に活躍したほか、釧路市街地への足としても活躍し、1957年には気動車も導入しました。しかし、親会社の雄別炭鉱が1970年に閉山し、雄別鉄道も47年間の活躍を終えました。
8722号は現存する唯一の8700形蒸気機関車です。8700形は、1911年に東海道本線などでの急行列車牽引用として、イギリス、ドイツ、アメリカの3か国から輸入された蒸気機関車の一形式です。英国ノースブリティッシュ社から12両が輸入され、その翌年には国産大型蒸気機関車の製造技術取得を目的に、汽車製造会社で18両が追加生産されました。
当時の国内産業の技術水準は高くなく、8722号の車輪やロッド類は当時のわが国の鋳鋼技術では製作できませんでした。そのため、ドイツ・ヘンシェルからの輸入品に頼っていました。
製造当初は東北本線の盛岡や青森に配置されましたが、その後国産の大型機関車が登場すると第一線を去り、北海道拓殖鉄道を経て1957年に雄別炭礦鉄道に譲渡されて、釧路-雄別炭山間の石炭輸送に使われました。そして、同鉄道廃止後に、関連会社であった釧路製作所に引き取られて保存されました。8722号は阿寒町(釧路市)に保存されているC1165号とともに、雄別炭礦鉄道の数少ない保存車両です。
8700形は、大正期以降の国産蒸気機関車の製造に大きな影響を与えた機関車で、明治期の工業技術史や雄別炭鉱関連資料として大変貴重な存在であるため、2007年に経済産業省によって近代化産業遺産として認定されました。
次回は、「冬のSLと石炭のマチ・釧路」の第7回で、SL冬の湿原号を紹介します。
雄別鉄道や8722号に関する記述は、ツアーで配布された釧路製作所作成の下記資料からの引用です。
■ 資料
株式会社釧路製作所本社工場(2013.02):近代化遺産「雄別炭礦鉄道車両 8722 号)」について
株式会社釧路製作所→近代化産業遺産